巡り逢はんことの契りぞありがたき
厳しき山の誓ひ見るにも
- 歌の意味
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いつか大師にめぐり逢うであろう縁こそ、まことに得がたくありがたい。険しい山に残る大師の誓いの跡を見るにつけても。
- 鑑賞
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雑歌 1370
詞書「曼荼羅寺の行道所へ登るは、世の大事にて、手を立てたるやうなり、大師の、御経書き埋ませおはしましたる山の峰なり、坊の外は、一丈ばかりなる壇築きて建てられたり、それへ日ごとに登らせおはしまして、行道しおはしましけると、申し伝へたり、巡り行道すべきやうに、壇も二重に築き回されたり、登るほどの危ふさ、殊に大事なり、構へて這ひ回り着きて」
曼荼羅寺の行道所へ登るのはたいへんなことで、手を立てたように険しい。そこは大師が経を書いて埋められた山の峰で、一丈ほどの壇が築かれ、大師は毎日そこへ登って行道されたと言い伝えられている。巡って行道できるように、壇も二重に築き回されている。登る途中の危うさはことのほかで、用心して這うようにしてたどり着いて詠んだ一首である。いつか大師にめぐり逢うであろう縁こそ得がたくありがたい、険しい山に残る大師の誓いの跡を見るにつけても、と詠む。
大師が衆生を救うために立てた誓いの跡を、険しい山に見て、来世で大師に巡り逢う縁を得たことを感謝している。「巡り」は、行道で壇を巡ることを響かせている。
初句「巡り逢はん」は、めぐり逢うであろう、の意で、行道で巡ることを響かせている。
二句「ことの契りぞ」の「ぞ」は強意の係助詞で、三句の連体形「ありがたき」と係り結びをなす。
三句「ありがたき」は、得がたく尊い、の意で、三句切れとなる。
四句「厳しき山の」は、険しい山の、の意である。
結句「誓ひ見るにも」は、大師の誓いの跡を見るにつけても、の意で、倒置によって感謝の理由を示している。
ぎやうだう:経を唱えながら仏堂や壇の周りを巡り歩く修行
ありがたし:めったにない、尊い
- 作者
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西行
- 出典
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山家集
- 前の歌
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あはれなり同じ野山に立てる木の かかるしるしの契りありける
- 次の歌
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筆の山にかき登りても見つるかな 苔の下なる岩のけしきを