吉野山花の散りにし木のもとに
とめし心は我を待つらん
- 歌の意味
-
吉野山の、花の散ってしまった木の下に留めておいた私の心は、今ごろ私の来るのを待っているのだろう。
- 鑑賞
-
百首 1453
詞書「花十首」
西行の百首歌の巻頭、花十首の一首目である。吉野山で花の散った木の下に心を残してきたので、その心が今は自分を待っているだろう、と詠む。
花に心を奪われ、身は去っても心だけは花のもとに留まるという、心と身の分離を詠んだ一首である。散ったあとの花の木にまで心を寄せ続けるところに、花を愛し続けた西行らしい執心がよく表れている。巻末の第千五百五十二首が、人の手にもかからず世を過ごした身を詠んで百首を閉じるのに対し、巻頭は吉野の花に心を留めることから始まっている。
初句「吉野山」は、大和国の桜の名所で、花十首の中では第千四百五十四首、第千四百六十一首、第千四百六十二首にも詠まれ、一連の舞台となっている。
二句「花の散りにし」の「にし」は完了と過去で、花がすっかり散ってしまった、の意である。
三句「木のもとに」は、花の散った桜の木の下に、の意である。
四句「とめし心は」は、留めておいた心は、の意で、心を物のように置いてきたとする表現である。
結句「我を待つらん」の「らん」は現在推量で、心が自分を待っているだろう、と遠く思いやる意を表す。
とむ:留める、とどめおく
このもと:木の下
- 作者
-
西行
- 出典
-
山家集
- 前の歌
-
磯菜摘みて波かけられて過ぎにける 鰐の住みける大磯の根を
- 次の歌
-
吉野山高嶺の桜咲きそめば かからんものか花の薄雲