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たまり居る梢の雪の春ならば
山里いかにもてなされまし

歌の意味
梢にたまっている雪が、もし春の花であったならば、この山里はどれほど人にもてはやされたことだろう。
鑑賞
百首 1488

詞書は前の歌に続き「雪十首」
 雪十首の六首目である。梢に積もりたまっている雪が、もし春の花であったら、この山里はどんなに人々にもてはやされたことだろう、と詠む。
 梢の雪を花に見立て、花であれば人が訪れるのに、雪であるがゆえに顧みられない山里の寂しさを詠んでいる。花十首と雪十首とを結ぶ趣向であり、雪に花を重ねることで、山里の冬の孤独を浮かび上がらせている。

 初句「たまり居る」は、積もってたまっている、の意である。
 二句「梢の雪の」は、木の枝先に積もった雪が、の意である。
 三句「春ならば」は、春の花であったならば、の意で、反実仮想の条件を示している。
 四句「山里いかに」は、この山里はどれほど、の意である。
 結句「もてなされまし」の「まし」は反実仮想で、もてはやされたことだろう、の意を表す。

こずゑ:木の枝の先
もてなす:大切に扱う、もてはやす
作者
西行
出典
山家集
前の歌
筏士の波の沈むと見えつるは 雪を積みつつ下るなりけり
次の歌
大原は芹生を雪の道に開けて 四方には人も通はざりけり