憂き世とし思はでも身の過ぎにける
月の影にもなづさはりつつ
- 歌の意味
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ここを憂き世だと思うこともないままに、わが身は過ぎてしまったことだ。月の光にも、なれ親しみながら。
- 鑑賞
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百首 1506
詞書は前の歌に続き「述懐十首」
述懐十首の四首目である。この世を憂き世と思い詰めることもなく、月の光にもなれ親しみながら、いつのまにか年月が過ぎてしまった、と詠む。
月を友として過ごすうちに、世を厭う思いもないまま歳月が流れ去ったことへの感慨を詠んでいる。月十首の第千四百八十一首が「憂き世とも思ひ通さじ」と心を改めたのを受けるかのように、本歌では憂き世とも思わずに過ごしてきた日々を振り返っている。
初句「憂き世とし」の「し」は強意の副助詞で、憂き世だとは、の意である。
二句「思はでも身の」の「で」は打消の接続助詞で、思わないでも、わが身は、の意である。
三句「過ぎにける」の「にける」は完了と詠嘆で、過ぎてしまったことだ、の意を表し、三句切れとなる。
四句「月の影にも」は、月の光にも、の意である。
結句「なづさはりつつ」の「なづさはる」は、なれ親しむ意で、なれ親しみながら、の意であり、倒置となっている。
なづさはる:なれ親しむ
- 作者
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西行
- 出典
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山家集
- 前の歌
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月にいかで昔のことを語らせて 影に添ひつつ立ちも離れじ
- 次の歌
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雲につきて浮かれのみゆく心をば 山にかけてを留めんとぞ思ふ