身につきて燃ゆるおもひの消えましや
涼しき風のあふがざりせば
- 歌の意味
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身にまといついて燃えさかる思いの火は、消えただろうか、いや消えはしなかっただろう。涼しい風があおいでくれなかったならば。
- 鑑賞
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百首 1538
詞書は前の歌に続き「釈教十首、無量義経、三首」
無量義経を詠んだ三首のうちの三首目である。身にまといついて燃える煩悩の火は、涼しい風があおいでくれなかったら、消えることはなかっただろう、と詠む。
身を焼く煩悩を火にたとえ、それを鎮める仏の教えを涼しい風にたとえた一首と見られる。前歌の、つぼみに春をこめる穏やかな景に対し、本歌は燃える火と涼しい風という対比によって、教えの力を描いている。
初句「身につきて」は、身にまといついて、の意で、字余りとなっている。
二句「燃ゆるおもひの」の「おもひ」は、「思ひ」と「火」とを掛けた掛詞で、燃えさかる思いの火が、の意である。
三句「消えましや」の「まし」は反実仮想、「や」は反語で、消えただろうか、いや消えなかっただろう、の意を表し、三句切れとなる。
四句「涼しき風の」は、涼しい風が、の意で、仏の教えのたとえと見られる。
結句「あふがざりせば」の「せば」は反実仮想の条件で、あおがなかったならば、の意であり、倒置となっている。
おもひ:思いの意と、火の意を掛ける
あふぐ:風を送る、あおぐ
- 作者
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西行
- 出典
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山家集
- 前の歌
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山桜つぼみ始むる花の枝に 春をばこめて霞むなりけり
- 次の歌
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花までは身に似ざるべし朽ち果てて 枝もなき木の根をな枯らしそ