古典和歌stream

桜花散らさで千代も見てしがな
飽かぬ心はさてもありやと

歌の意味
桜の花を散らさないで千年も見ていたいものだ。それでも見飽きない心はやはりそのままであるかどうかと試すために。
鑑賞
巻第一 春歌 35

 桜を千年もの間散らさずに見続けてみたい、そうしてもなお見飽きない心があるのか確かめたいと詠んだ歌である。いくら見ても飽きない花への愛着を、試してみたいという理屈の形で表している。

 初句「桜花」は、ここから散る花をめぐる桜の歌が続く。
 二句「散らさで千代も」は、散らさずに千年もの意で、「で」は打消の接続を表す。
 三句「見てしがな」は、願望の終助詞「てしがな」で、見ていたいものだの意である。ここで句切れとなる。
 四句「飽かぬ心は」は、見飽きない心はの意である。
 結句「さてもありやと」は、そのままでもあるのかとの意で、三句へ戻って理由を示す倒置の形になっている。

ちよ:千年。非常に長い年月
あく:満ち足りる。飽きる
作者
源順
出典
詞花和歌集
前の歌
なかなかに散るを見じとや思ふらむ 花の盛りに帰る雁がね
次の歌
桜花風にし散らぬものならば 思ふことなき春にぞあらまし