藻塩焼く須磨の浦人うち絶えて
いとひやすらむ五月雨の空
- 歌の意味
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藻塩を焼いて暮らす須磨の浦の人々は、塩焼きがすっかり途絶えてしまって、この五月雨の空を嫌っているだろうか。
- 鑑賞
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巻第二 夏歌 68
五月雨が降り続き、須磨の浦で藻塩を焼く煙も絶えてしまっただろうと、海辺の人々の暮らしを都から思いやった歌である。
五月雨の歌群の最後の一首である。第六十六首が雨の中で糸を干す女性を思いやったのに続き、本歌も雨に困る人々の暮らしを遠く想像している。
初句「藻塩焼く」は、海藻に海水を注いで焼き、塩をとる海辺の営みをいう。
二句「須磨の浦人」は、摂津国の歌枕である須磨の浦に住む人々である。
三句「うち絶えて」は、長雨で塩焼きの営みがすっかり途絶えたことを示す。
四句「いとひやすらむ」の係助詞「や」は疑問、「らむ」は現在推量の連体形で係り結びをなす。
結句「五月雨の空」は体言止めで、嫌われる対象を最後に示している。
もしほ:海藻に海水をかけて焼いて作る塩
うらびと:海辺に住む人
いとふ:嫌う
- 作者
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小弁
- 出典
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詞花和歌集
- 前の歌
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五月雨に難波堀江の澪標 見えぬや水のまさるなるらむ
- 次の歌
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五月闇花橘に吹く風は 誰が里までか匂ひゆくらむ