飽かでのみ帰ると思へば桜花
折るべき春ぞ尽きせざりける
- 歌の意味
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いつも見飽きることなく満ち足りないまま帰ると思えば、桜の花を手折るべき春は、尽きることなくめぐってくるのだった。
- 鑑賞
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巻第五 賀歌 166
桜の花をいくら見ても見飽きることがなく、いつも名残を惜しんで帰ってしまう。だからこそ花を手折る春はこれからも尽きることなく訪れる、という理屈で、終わりのない春すなわち長寿を言祝いだ歌である。
花への尽きない愛着をそのまま長寿の祝いへと転じる発想が巧みで、華やかな桜を賀の巻に取り込んだ優美な一首である。
初句「飽かでのみ」は、動詞「飽く」の未然形に打消の接続助詞「で」と副助詞「のみ」が付き、いつも満ち足りないままであることを強調する。
二句「帰ると思へば」は、已然形に「ば」が付いた確定条件で、次の理屈を導く。
三句「桜花」は、名詞で次の「折る」の対象を示し、四季の美を賀の主題へと引き寄せる。
四句「折るべき春ぞ」は、係助詞「ぞ」で「春」を強める。本巻で「春」を詠むのは本歌と次々歌の第百六十八首「千代の春」で、ともに尽きない春を祝う点で対をなしている。
結句「尽きせざりける」は、係助詞「ぞ」の結びで、詠嘆の助動詞「けり」の連体形で結ぶ係り結びである。第百六十八首の「尽きせぬ千代の」と同じ語を共有している。
あく:満ち足りる、十分に満足する
つきす:尽きる、なくなる
- 作者
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中務
- 出典
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詞花和歌集
- 前の歌
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榊葉を手に取り持ちて祈りつる 神の代よりも久しからなむ
- 次の歌
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松島の磯に群れゐる葦鶴の おのがさまざま見えし千代かな