ひととせを暮れぬとなにか惜しむべき
尽きせぬ千代の春を待つには
- 歌の意味
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一年が暮れてしまったといって、どうして惜しむことがあろうか。尽きることのない千代の春を待つ身にとっては。
- 鑑賞
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巻第五 賀歌 168
年の暮れを惜しむという和歌の常套を逆手に取り、千代にわたって春が訪れる身であれば一年の終わりを惜しむ必要はない、と祝う相手の長寿を言祝いだ歌である。年の暮れを描いた屏風絵に添えた歌として紹介されることもある。
「長寿を祈る」と正面から言わず、年の暮れを惜しまない理由として千代の春を示す控えめな言い回しに、公任らしい落ち着いた品格がある。
初句「ひととせを」は、一年という区切りを示し、次の「千代」と大小の時間の尺度で対比される。
二句「暮れぬとなにか」は、完了の助動詞「ぬ」で年が暮れたことを示し、「なにか」で反語を導く。
三句「惜しむべき」は、係助詞「か」の結びとして助動詞「べし」の連体形で結ぶ反語で、「惜しむ必要などない」の意となる。ここで三句切れとなり、下の句と倒置の関係にある。
四句「尽きせぬ千代の」は、尽きることのない長い年月を示す。前々歌の第百六十六首「尽きせざりける」と同じ語を共有し、ともに尽きない春を祝う点で対をなす。
結句「春を待つには」は、倒置によって理由を後置した形である。巻第四の巻末の第百六十首が「年の終はり」を詠んで冬の巻を閉じたのを受け、賀の巻では年の暮れを惜しまず新しい春を待つ心へと転じている。
ひととせ:一年
くる:年や日が終わる
- 作者
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藤原公任
- 出典
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詞花和歌集
- 前の歌
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松島の磯に群れゐる葦鶴の おのがさまざま見えし千代かな
- 次の歌
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誰にとか池の心も思ふらむ 底に宿れる松の千歳は