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胸は富士袖は清見が関なれや
煙も波も立たぬ日ぞなき

歌の意味
わたしの胸は富士山で、袖は清見が関なのだろうか。思いの煙も涙の波も、立たない日はない。
鑑賞
巻第七 恋歌上 213

 胸の思いを噴煙を上げる富士山に、涙に濡れる袖を波の打ち寄せる清見が関にたとえ、煙も波も絶えないと詠む一首である。駿河国の二つの名所を対にして並べた、調子のよい機知的な歌である。
 藤原俊成が詞花集について、趣向のおかしさを前面に出した歌が多いと評したことはよく知られ、本歌はその歌風をよく示す例として挙げられることがある。作者を平祐挙とする本文もある。

 初句「胸は富士」は、胸の思いを燃える富士山にたとえる。本巻の第二百二首の富士の煙を受け、思いの火を同じ山で詠んでいる。
 二句「袖は清見が」は、涙に濡れる袖を、駿河国の海辺の歌枕である清見が関にたとえる。初句と二句は「胸は」「袖は」と対句をなしている。
 三句「関なれや」は、已然形に「や」が付いた疑問で、関だからだろうかという意を表す三句切れである。
 四句「煙も波も」は、富士の煙と清見が関の波を並べ、上の句の対句に一つずつ対応させている。
 結句「立たぬ日ぞなき」は、係助詞「ぞ」と形容詞「なし」の連体形による係り結びで、立たない日はないと二重否定で強く結ぶ。「立つ」は煙と波の両方に掛かる。

きよみがせき:駿河国の海辺にあった関所。波の寄せる所として詠まれた
出典
詞花和歌集
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