須磨の浦に焼く塩釜の煙こそ
春に知られぬ霞なりけれ
- 歌の意味
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須磨の浦で塩を焼く塩釜の煙こそは、春とは関わりなく立ちこめる、春に知られない霞であったのだ。
- 鑑賞
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巻第九 雑歌上 273
須磨の浦で塩を焼く塩釜から立ちのぼる煙を、春とは関係なく一年中たなびく霞に見立てた一首である。霞は春のものという常識を逆手に取り、海辺の煙を「春に知られぬ霞」と言い表した機知に、作者らしい新しさがある。
前歌の第二百七十二首の春霞を受け、本物の霞ではない煙の霞を詠んで趣向を転じている。
初句「須磨の浦に」は、摂津国の歌枕で、製塩の地として詠まれた須磨の海辺をいう。
二句「焼く塩釜の」は、海水を煮つめて塩を作る釜をいう。
三句「煙こそ」は、係助詞「こそ」で塩釜の煙を強く取り立てる。
四句「春に知られぬ」は、受身の「る」と打ち消しの「ず」の連体形で、春に知られない、つまり春と関わりのないという意を表す。
結句「霞なりけれ」は、断定の「なり」と詠嘆の「けり」の已然形で「こそ」を受けて結ぶ係り結びで、煙こそ霞であったと気づいて結ぶ。
しほがま:海水を煮つめて塩を作る釜
すまのうら:摂津国の海辺。製塩の地として知られた歌枕
- 作者
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源俊頼
- 出典
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詞花和歌集
- 前の歌
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春霞かすめる方や津の国の ほのみしま江のわたりなるらむ
- 次の歌
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並み立てる松の下枝を蜘蛛手にて 霞みわたれる天の橋立