- 歌の意味
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誰がこの花びらの数を八重と定めたのだろうか。わたしはただ十重、つまり訪ねてきてほしいと思うのだ、この山吹の花よ。
- 鑑賞
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巻第九 雑歌上 281
八重咲きの山吹を前に、誰がこの数を八重と決めたのかと問い、自分はただ「十重」であってほしい、つまり「訪へ(訪ねてほしい)」と思うのだと詠む一首である。花びらの数をいう「十重」に「訪へ」を掛け、訪れの途絶えがちな相手を待つ心を、機知に包んで表している。
作者は『蜻蛉日記』の作者として知られ、夫の藤原兼家の訪れを待つ嘆きを多く詠んだ。
初句「誰かこの」は、係助詞「か」で疑問を示す。
二句「数は定めし」は、過去の「き」の連体形で「か」を受けて結ぶ係り結びで、誰が数を定めたのかと問う二句切れである。八重咲きの山吹の花びらの数を指している。
三句「我はただ」は、係助詞「は」で自分を取り立て、二句の問いに対する自らの思いを示す。
四句「とへとぞ思ふ」は、八重に対する「十重」と、訪ねてほしいという意の「訪へ」とを掛け、係助詞「ぞ」と連体形「思ふ」による係り結びで強く言い切る。
結句「山吹の花」は、体言止めで、八重に咲く山吹の花に呼びかけるように結ぶ。
とへ:花びらの数をいう「十重」と、訪ねてほしいという意の「訪へ」を掛ける
やまぶき:春に黄色い花を咲かせる低木。八重咲きのものがある
- 作者
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藤原道綱母
- 出典
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詞花和歌集
- 前の歌
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春の来ぬ所はなきを白河の わたりにのみや花は咲くらむ
- 次の歌
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春日山北の藤波咲きしより 栄ゆべしとはかねて知りにき