昔見し雲居を恋ひて葦鶴の
沢辺に鳴くや我が身なるらむ
- 歌の意味
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かつて見た雲居を恋い慕って、葦辺の鶴が沢のほとりで鳴くように、宮中を恋うて泣いているのがわが身なのだろうか。
- 鑑賞
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巻第十 雑歌下 350
昔親しんだ空を恋い慕って沢辺で鳴く葦鶴に、宮中から遠ざかって嘆く自分を重ねた一首である。「雲居」は空と宮中の両方をいう語で、空を飛んでいた鶴が沢辺に下りて鳴くさまに、宮仕えを離れた身の嘆きを託している。
前歌の第三百四十九首と同じく「我が身なるらむ」で結び、はかない薄氷と沢辺に鳴く鶴とで、わが身を問う歌が二首並べられている。
初句「昔見し」は、過去の「き」の連体形で、かつて見たという意を表す。
二句「雲居を恋ひて」は、空の意と宮中の意をもつ「雲居」をいい、空を飛んだ昔を恋う鶴に、宮中を恋う身を重ねている。
三句「葦鶴の」は、葦辺にいる鶴をいう。
四句「沢辺に鳴くや」は、係助詞「や」で疑問を示し、鶴の鳴く声に人の泣く声を重ねている。
結句「我が身なるらむ」は、断定の「なり」と現在推量の「らむ」の連体形で「や」を受けて結ぶ係り結びで、前歌と同じ結句である。
くもゐ:空。また宮中
あしたづ:葦辺にいる鶴
さはべ:沢のほとり
- 出典
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詞花和歌集
- 前の歌
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賤の女がゑぐ摘む沢の薄氷 いつまで経べき我が身なるらむ
- 次の歌
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三日月のまた有明になりぬるや 憂き世をめぐるためしなるらむ