- 歌の意味
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大原の里では、わたしはまだ炭竈で炭を焼くことも習い覚えていないので、わたしの住まいだけが煙が絶えている。
- 鑑賞
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巻第十 雑歌下 367
炭焼きの里として知られた大原に移り住んだものの、まだ炭竈の扱いも覚えていないので、炭焼きの煙が立つ家々の中で、自分の住まいだけ煙が絶えていると詠む一首である。煙の絶えた住まいに、山里に住み始めたばかりの心細さと貧しさが表れている。
巻頭の第三百四十八首の葦火を焚く住処と同じく、世を離れた山里の粗末な住まいの火を詠んでいる。
初句「大原や」は、間投助詞「や」で、山城国の大原の名を詠嘆的に示す。大原は炭焼きの里として知られた。
二句「まだ炭竈も」は、係助詞「も」で、炭を焼く竈もという意を表す。
三句「習はねば」は、打ち消しの「ず」の已然形に「ば」が付いた確定条件で、習い覚えていないのでという意を表す。
四句「我が宿のみぞ」は、副助詞「のみ」と係助詞「ぞ」で、わが住まいだけをと強く取り立てる。
結句「煙絶えたる」は、存続の「たり」の連体形で「ぞ」を受けて結ぶ係り結びで、煙が絶えていると結ぶ。
おほはら:山城国の地名。炭焼きの里として知られた
すみがま:炭を焼くかま
やど:住まい、家
- 作者
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良暹
- 出典
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詞花和歌集
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網代には沈む水屑もなかりけり 宇治のわたりに我や住ままし
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涙川その水上を尋ぬれば 世の憂き目より出づるなりけり