わたの原漕ぎ出でて見れば久方の
雲居にまがふ沖つ白波
- 歌の意味
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大海原に舟を漕ぎ出して見渡すと、はるか遠くの雲と見分けがつかないほどに、沖の白波が立っている。
- 鑑賞
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巻第十 雑歌下 382
大海原に舟を漕ぎ出して遠くを望むと、沖に立つ白波が空の雲と見分けがつかないと詠む一首である。海と空が一つに溶け合う雄大な景を、白波と白雲の重なりによってとらえている。
崇徳天皇が在位中に「海上遠望」という題で詠ませた折の歌で、小倉百人一首にも採られている。前歌の第三百八十一首の山の端の白雲に対し、ここでは海上の白波が雲と見まがわれ、山と海とで白雲の景が対をなしている。
初句「わたの原」は、大海原をいう。
二句「漕ぎ出でて見れば」は、已然形に「ば」が付いた確定条件で、舟を漕ぎ出して見るとという意を表し、八音の字余りである。
三句「久方の」は、「雲居」にかかる枕詞である。
四句「雲居にまがふ」は、遠くの空の雲と見分けがつかないという意を表す。前歌の白雲と響き合っている。
結句「沖つ白波」は、体言止めで、沖の白波を示して結ぶ。「つ」は「の」の意の古い格助詞である。
わたのはら:大海原
くもゐ:雲のあるところ。遠くの空
まがふ:入り混じって見分けがつかなくなる
- 作者
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藤原忠通
- 出典
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詞花和歌集
- 前の歌
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思ひかねそなたの空を眺むれば ただ山の端にかかる白雲
- 次の歌
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うち群れて高倉山に摘むものは 荒田なき世の富草の花