うち群れて高倉山に摘むものは
荒田なき世の富草の花
- 歌の意味
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人々が連れ立って高倉山で摘むものは、荒れた田のない豊かな御代に咲く、稲の花である。
- 鑑賞
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巻第十 雑歌下 383
人々が群れ集って高倉山で摘むのは、荒れた田など一つもない御代に咲く稲の花だと詠む一首である。「富草」は稲の異称で、五穀の豊かな稔りと、それをもたらす御代の繁栄をことほぐ祝いの歌である。
次歌の第三百八十四首も、山田に積んだ稲を見て治まる世を知ると詠み、稲によって御代をたたえる歌が二首並べられている。
初句「うち群れて」は、接頭語「うち」を添えた語で、人々が連れ立ってという意を表す。
二句「高倉山に」は、地名の高倉山をいう。
三句「摘むものは」は、係助詞「は」で、摘むものを主題として取り立てる。
四句「荒田なき世の」は、荒れた田のない世、すなわち豊かに治まった御代をいう。次歌の四句「治まれる世の」と対応する。
結句「富草の花」は、体言止めで、稲の異称である富草の花を示して結ぶ。
とみくさ:稲の異称
あらた:荒れた田
- 出典
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詞花和歌集
- 前の歌
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わたの原漕ぎ出でて見れば久方の 雲居にまがふ沖つ白波
- 次の歌
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板倉の山田に積める稲を見て 治まれる世のほどを知るかな