春過ぎて幾日もあらねどわが宿の
池の藤波うつろひにけり
- 歌の意味
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春が過ぎてまだ幾日も経っていないのに、わが家の池のほとりの藤の花は、もう色あせてしまった。
- 鑑賞
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夏歌 135
詞書は前の歌に続き「夏のはじめ」
春が終わって間もないのに、自邸の池のほとりの藤がもう色あせてしまったことを詠んだ歌である。季節の移り変わりの早さに対する驚きと、過ぎた春への名残の思いが込められている。
賀茂真淵は合点を付し、『万葉集』に「秋立ちて幾日もあらねば」とあるように、作者は「あらねば」と詠んだのを後に誤ったのだろうと評している。
初句「春過ぎて」は、春が過ぎ去ったことを示し、夏の始まりの歌であることを明らかにする。
二句「幾日もあらねど」の「ど」は逆接の接続助詞で、まだ幾日も経たないのにの意となる。
三句「わが宿の」は自分の家のの意で、次歌の第百三十六首も同じ初句「わが宿の」で始まり、わが家の庭の景が続いている。
四句「池の藤波」は、池のほとりに咲く藤の花房が波のように揺れるさまをいう。巻第一の第百十一首が、同じ「わが宿の池の藤波」が色あせないうちに暮れてゆく春を惜しんだのに対し、本歌では春が過ぎて藤がすでに色あせており、春部と夏部とで反転した構図になっている。
結句「うつろひにけり」の「けり」は気づきの詠嘆で、花の盛りがもう過ぎたことに今気づいた驚きを表す。
ふぢなみ:藤の花房が風に揺れるさまを波に見立てた語
うつろふ:花の色があせる、盛りが過ぎる
- 作者
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源実朝
- 出典
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金槐和歌集
- 前の歌
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夏衣たつきの山の郭公 いつしか鳴かむ声を聞かばや
- 次の歌
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わが宿の垣根に咲ける卯の花の 憂きことしげき世にこそありけれ