- 歌の意味
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ほととぎすの声はいくら聞いても聞き飽きない。橘の花が散る里の、五月雨のころは。
- 鑑賞
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夏歌 159
詞書は前の歌に続き「郭公」
橘の花が散る里で、五月雨のころに聞くほととぎすの声はいくら聞いても飽きないと詠んだ歌である。橘の香り、五月雨、ほととぎすという初夏の景物を一首に集め、季節の情趣を味わい尽くしている。
この歌は『新後撰和歌集』に入集している。類従本では詞書を「ほととぎすをよめる」とする。賀茂真淵はこの歌に二つの合点を付し、『万葉集』の「橘の花散る里に通ひなば」を引いている。
初句「郭公」は、本巻の第百四十九首から続く「郭公」の題の歌の最後に、改めて鳥を据える。
二句「聞けども飽かず」は、いくら聞いても聞き飽きないの意で、ここで句切れとなる。
三句「橘の」は、初夏に白く香り高い花を咲かせる橘を示す。次歌の第百六十首、第百六十一首は橘を題とし、本歌がほととぎすから橘へと題を橋渡ししている。
四句「花散る里の」は、橘の花が散る里の意で、万葉集の句を踏まえる。
結句「五月雨のころ」は体言止めで、時節を示して余情を残す。倒置によって、聞き飽きない時と所を後に示している。
たちばな:ミカン科の常緑樹。初夏に白く香り高い花を咲かせ、昔をしのぶよすがとされる
- 作者
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源実朝
- 出典
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金槐和歌集
- 前の歌
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皆人の名をしも呼ぶか郭公 鳴くなる声の里をとよむる
- 次の歌
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いにしへを偲ぶとなしに故郷の 夕べの雨に匂ふ橘