浅茅原主なき宿の庭の面に
あはれ幾夜の月はすみけむ
- 歌の意味
-
浅茅が原となった主のいない家の庭の面に、ああ、幾夜の月が澄んだ光を落とし、住みついてきたことだろう。
- 鑑賞
-
秋歌 275
詞書「荒屋月」
主のいなくなった荒れた家の、浅茅の生い茂る庭に、ああ、いったい幾夜、月だけが澄んだ光を落とし住みついてきたのだろうと詠んだ歌である。人の去った家に変わらず照る月を、住む人の代わりに住む者として描き、荒れた宿のあわれを深めている。
この歌は『新勅撰和歌集』に入集している。類従本では詞書を「荒れたる宿の月といふ事を」とし、雑部に収める。定家所伝本と新勅撰集では結句を「月か澄みけむ」とする。なお参照した底本の本文では四句に欠字があり、字数と語の続きから「いくよの」と解した。
初句「浅茅原」は、丈の低い茅が生い茂った原をいい、荒れた宿のさまを示す。本巻の第二百五十二首の初句と同じ語である。
二句「主なき宿の」は、主人のいない家のの意で、題の「荒屋」を表す。
三句「庭の面に」は字余りで、庭の表面にの意である。
四句「あはれ幾夜の」の「あはれ」は感動詞で、ああ、幾夜のの意となる。本巻の第二百六十一首の「幾夜置きけむ」と同じく、積み重なる夜を詠む。
結句「月はすみけむ」の「すみ」は、月の光が澄む意と、月が住む意を掛けた掛詞で、過去推量の「けむ」で結ぶ。前歌の第二百七十四首では人がひとり月を眺めて年を経たのに対し、本歌では人のいない宿に月だけが住み続けたと詠み、人の住む宿と人の去った宿とで対をなしている。
あさぢはら:丈の低い茅が生い茂った原
すむ:月の光が澄む意と、月が住む意を掛ける
- 作者
-
源実朝
- 出典
-
金槐和歌集
- 前の歌
-
草の庵にひとり眺めて年も経ぬ 友なき宿の秋の夜の月
- 次の歌
-
行きめぐりまたも来て見む故郷の 宿守る月は我を忘るな