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初瀬山今日を限りと眺めつつ
入相の鐘に秋ぞ暮れぬる

歌の意味
初瀬山を、今日が秋の最後の日だと思いながら眺めているうちに、入相の鐘の音とともに、秋は暮れてしまった。
鑑賞
秋歌 311

詞書「九月尽の心を人々に仰せて仕うまつらせしついでに」
 九月尽、すなわち秋の最後の日という題を人々に命じて詠ませた折に、作者が詠んだ歌である。初瀬山を今日で秋も終わりだと思いながら眺めているうちに、夕暮れを告げる入相の鐘の音とともに秋が暮れてしまったと詠み、秋部の巻末を締めくくっている。
 類従本では詞書の末を「ついでによめる」とする。底本の注記によれば、原本では二句を「今日限りと」とし、校訂者が傍注および類従本と定家所伝本によって「今日を限りと」と改めたもので、ここではその改訂に従う。定家所伝本では三句に異同がある。初瀬山には長谷寺があり、その鐘の音が詠まれることが多い。

 初句「初瀬山」は、大和国の初瀬にある山で、長谷寺がある。
 二句「今日を限りと」は、今日を秋の最後の日としての意で、題の「九月尽」を表す。本巻の第三百四首、第三百五首の「今日」を受けている。
 三句「眺めつつ」の「つつ」は継続で、もの思いにふけって眺め続けるうちにの意となる。
 四句「入相の鐘に」は字余りで、日の入るころに寺で撞く鐘をいう。巻第二の巻末に近い第百七十六首でも「入相の鐘」によって夏の日の暮れを知っており、夏部と秋部の終わりが同じ鐘の音で告げられている。
 結句「秋ぞ暮れぬる」は、係助詞「ぞ」を受けて完了の助動詞「ぬ」の連体形「ぬる」で結ぶ。本巻巻頭の第百八十首が「夏は暮れしか」と夏の終わりを受けて始まったのに対し、巻末の本歌は「秋ぞ暮れぬる」と秋の終わりで結び、巻頭と巻末が「暮れ」の語で呼応している。

はつせやま:大和国(今の奈良県桜井市初瀬)の山。長谷寺がある
くぐわつじん:陰暦九月の末日、秋の最後の日
いりあひ:日の入るころ、夕暮れ
作者
源実朝
出典
金槐和歌集
前の歌
木の葉散る秋の山辺は憂かりけり 堪へでや鹿のひとり鳴くらむ
次の歌
秋は去ぬ風に木の葉は散り果てて 山寂しかる冬は来にけり