今日もまた尋ね暮らしつほととぎす
いかで聞くべき初音なるらむ
- 歌の意味
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今日もまた、ほととぎすを探し求めて一日を過ごしてしまった。いったいどうすれば聞くことのできる初音なのだろうか。
- 鑑賞
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巻第二 夏歌 105
今日もまたほととぎすの初音を求めて一日を過ごしたが聞けなかった、いったいどうすれば聞ける初音なのだろうか、と嘆く歌である。初音を待ちわびて毎日探し歩く熱心さと、聞けないもどかしさが素直に詠まれている。
本巻の第百四首から第百二十六首まではほととぎすの歌が続く。初音を待ち、尋ね、聞き得た喜びや聞き逃した嘆きなど、ほととぎすをめぐるさまざまな心が詠まれていく。
初句「今日もまた」は昨日に続いて今日もの意で、何日も探し続けていることを示す。
二句「尋ね暮らしつ」は探し求めて一日を過ごしてしまったの意で、「つ」は完了の助動詞である。ここで句切れとなる二句切れの歌である。本巻の第百八首の「尋ねし声を」と同じく、ほととぎすを尋ね歩く心を詠んでいる。
三句「ほととぎす」は呼びかけの形で置かれ、下の句の主題を示している。
四句「いかで聞くべき」はどうすれば聞くことができるのかの意で、疑問の副詞「いかで」が結句の「らむ」と呼応する。
結句「初音なるらむ」の「初音」はその年最初に聞く鳴き声で、「らむ」は現在推量の助動詞である。本巻の第百十三首では、毎回が初音のように聞こえるとして、本歌の嘆きと対照的な心が詠まれている。
たづねくらす:探し求めて一日を過ごす
はつね:その年最初に聞く鳴き声
- 出典
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金葉和歌集
- 前の歌
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み山出でてまだ里なれぬほととぎす 旅の空なる音をや鳴くらむ
- 次の歌
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ほととぎす姿は水に宿れども 声は映らぬものにぞありける