- 歌の意味
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澄みきって高くのぼっていく私の心が、空を払い清めているのだろうか。雲という塵ひとつない秋の夜の月であることよ。
- 鑑賞
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巻第三 秋歌 188
月を見て澄みきっていく自分の心が空を払い清めたのだろうか、雲という塵ひとつない秋の夜の月である、と詠む歌である。月を見る者の心の澄み方と、空の澄み方とを一つのものとしてとらえている。
雲を塵に見立てるのは撰者である作者らしい新しい趣向である。本巻の第二百六首でも、作者はむら雲が月の曇りを拭うと詠んでいる。
本巻の第百七十四首から第二百十七首までは月の歌が長く続き、夕月夜から八月十五夜の名月、有明の月まで、さまざまな月のありさまと月を見る心が詠まれていく。
作者の「俊頼」は、源経信の子の源俊頼である。白河院の命により本集金葉和歌集を撰んだ。革新的な歌風で知られる。
初句「澄みのぼる」は澄みきって高くのぼるの意で、月を見る者の心が澄んでいくさまをいう。
二句「心や空を」は心が空をの意で、係助詞「や」が三句の「らむ」と係り結びをなす。
三句「払ふらむ」は払い清めているのだろうかの意で、「らむ」は原因を推量する助動詞である。ここで句切れとなる三句切れの歌である。
四句「雲の塵ゐぬ」は雲という塵がないの意で、雲を空の塵に見立てている。三句の「払ふ」と縁語の関係にある。
結句「秋の夜の月」は体言止めで、本巻の第百七十七首と同じ結句である。
すみのぼる:澄みきって高くのぼる
はらふ:払いのける、払い清める
- 作者
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源俊頼
- 出典
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金葉和歌集
- 前の歌
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雲の波かからぬさ夜の月影を 清滝川に映してぞ見る
- 次の歌
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月を見て思ふ心のままならば 行方も知らずあくがれなまし