月を見て思ふ心のままならば
行方も知らずあくがれなまし
- 歌の意味
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月を見て思う心のままに従うならば、行方もわからず、さまよい出てしまうことだろう。
- 鑑賞
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巻第三 秋歌 189
月を見て湧き起こる思いのままに身をまかせたら、行方も知れずどこかへさまよい出てしまうだろう、と詠む歌である。月に心を奪われ、身から心が離れていきそうになるほどの感動を表している。
「あくがる」の語は本巻の第二百二十四首にも用いられ、鹿の声に心がさまよい出るさまが詠まれている。
本巻の第百七十四首から第二百十七首までは月の歌が長く続き、夕月夜から八月十五夜の名月、有明の月まで、さまざまな月のありさまと月を見る心が詠まれていく。
作者の「京極関白家肥後」は、肥後守藤原定成の娘で、京極関白藤原師実の家に仕えた女房である。堀河百首の作者の一人である。
初句「月を見て」は月を眺めての意である。
二句「思ふ心の」は月を見て湧き起こる思いのの意である。
三句「ままならば」は、そのままに従うならばの意の仮定で、結句の「まし」と呼応している。
四句「行方も知らず」は行き先もわからずの意である。
結句「あくがれなまし」の「あくがる」は心が体から離れてさまよい出る意で、「な」は強意、「まし」は反実仮想の助動詞である。さまよい出てしまうだろうの意となる。
あくがる:心が体から離れてさまよい出る
- 作者
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京極関白家肥後
- 出典
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金葉和歌集
- 前の歌
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澄みのぼる心や空を払ふらむ 雲の塵ゐぬ秋の夜の月
- 次の歌
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いかにしてしがらみかけむ天の川 流るる月やしばしよどむと