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いかなれば秋は光のまさるらむ
同じ三笠の山の端の月

歌の意味
どうして秋になると光がまさるのだろうか。ほかの季節と同じ三笠山の山の端に出る月であるのに。
鑑賞
巻第三 秋歌 202

 いつも同じ三笠山の山の端から出る月なのに、どうして秋になると光がいっそう明るくなるのだろうか、といぶかる歌である。秋の月の格別な美しさを、疑問の形でたたえている。
 作者は春日社と縁の深い興福寺の僧であり、三笠山の月を親しみをもって詠んでいる。本巻の第二百首、次歌の第二百三首とともに三笠山の月を詠む歌が並んでいる。
 本巻の第百七十四首から第二百十七首までは月の歌が長く続き、夕月夜から八月十五夜の名月、有明の月まで、さまざまな月のありさまと月を見る心が詠まれていく。
 作者の「永縁」は藤原永相の子で、興福寺の僧である。権僧正に至り、ほととぎすの歌によって初音の僧正と呼ばれた。

 初句「いかなれば」はどうしての意で、疑問を表し、三句の「らむ」と呼応している。
 二句「秋は光の」は秋は光がの意で、ほかの季節と比べている。
 三句「まさるらむ」はまさるのだろうかの意で、「らむ」は原因を推量する助動詞である。ここで句切れとなる三句切れの歌である。前歌の第二百一首の「まさりける」と同じく、月の光がまさることを詠んでいる。
 四句「同じ三笠の」は季節が変わっても同じ三笠山のの意で、本巻の第二百首、第二百三首にも三笠山が詠まれている。
 結句「山の端の月」は体言止めで、山の稜線から出る月を示している。

みかさやま:奈良の春日にある山
作者
永縁
出典
金葉和歌集
前の歌
宿からぞ月の光もまさりける 世の曇りなくすめばなりけり
次の歌
三笠山もりくる月の清ければ 神の心も澄みやしぬらむ