世の中をあき果てぬとやさを鹿の
今はあらしの山に鳴くらむ
- 歌の意味
-
世の中に飽き果て、秋も果てたと思うのか、牡鹿は今は嵐の吹く山で鳴いているのだろう。
- 鑑賞
-
巻第三 秋歌 226
世の中に飽き果て、また秋も終わろうとしていると思うのか、牡鹿は今は嵐の吹く山で鳴いているのだろう、と詠む歌である。秋と飽き、嵐とあらじを重ね、世を厭う心を鹿の声に託している。
本歌で鹿の一連は終わる。秋の深まりと世を厭う心とを重ねて、鹿の歌群を結んでいる。
本巻の第二百二十二首から第二百二十六首までは鹿の歌が続き、妻を恋うて鳴く鹿の声に、旅や独り寝のわびしさなど、さまざまな心が寄せられていく。
作者の「顕仲_藤原」は、藤原資仲の子の藤原顕仲である。堀河天皇の時代の歌壇で活躍した歌人である。
初句「世の中を」は世の中をの意で、男女の仲の意を含むとも見られる。
二句「あき果てぬとや」の「あき」は、季節の「秋」と、すっかり嫌になる意の「飽き」とを掛けた掛詞である。係助詞「や」が結句の「らむ」と係り結びをなす。
三句「さを鹿の」は牡鹿がの意である。
四句「今はあらしの」の「あらし」は、激しく吹く「嵐」と、世に住んでいられまいの意の「あらじ」とを掛けた掛詞である。
結句「山に鳴くらむ」は山で鳴いているのだろうの意で、「らむ」は現在推量の助動詞である。
あく:季節の「秋」と、すっかり嫌になる意の「飽く」を掛ける
あらし:激しく吹く「嵐」と、いられまいの意の「あらじ」を掛ける
さをしか:牡鹿
- 作者
-
藤原顕仲
- 出典
-
金葉和歌集
- 前の歌
-
さもこそは都恋しき旅ならめ 鹿の音にさへ濡るる袖かな
- 次の歌
-
白露と人は言へども野辺見れば 置く花ごとに色ぞ変はれる