千年まで君が摘むべき菊なれば
露もあだには置かじとぞ思ふ
- 歌の意味
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千年まで我が君が摘むはずの菊であるので、その上に置く露も、むだには置くまいと思う。
- 鑑賞
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巻第三 秋歌 242
我が君が千年ののちまで摘むはずの菊なので、その上に置く露も決しておろそかには置くまいと思う、と詠む歌である。菊の露が長寿をもたらすという言い伝えを踏まえ、主君の長寿を祝う心を込めている。
菊の露を飲むと長寿を得るという故事は、九月九日の重陽の節句と結びついて詠まれてきた。前歌の第二百四十一首とともに菊の歌をなしている。
本巻の第二百四十一首と第二百四十二首は菊の歌である。
作者の「顕季」は、藤原隆経の子で修理大夫に至った藤原顕季である。母が白河天皇の乳母であったことから院の近臣として重んじられた。和歌の家である六条藤家の祖である。
初句「千年まで」は千年ののちまでもの意で、長寿を祝う心を示している。
二句「君が摘むべき」は我が君が摘むはずのの意である。
三句「菊なれば」は菊であるのでの意の確定条件で、菊が長寿の花であることを踏まえている。
四句「露もあだには」は露もむだにはの意で、菊の露が長寿をもたらすとされたことを踏まえている。本巻の第百五十七首の「あだ」と同じく、露のはかなさを思わせる語である。
結句「置かじとぞ思ふ」は置くまいと思うの意で、係助詞「ぞ」を受けて連体形「思ふ」で結ぶ係り結びである。
あだ:むだ、いいかげん
- 作者
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藤原顕季
- 出典
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金葉和歌集
- 前の歌
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盛りなる籬の菊を今朝見れば まだ空冴えぬ雪ぞ積もれる
- 次の歌
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百舌のゐる櫨の立ち枝の薄紅葉 誰が我が宿の物と見るらむ