百舌のゐる櫨の立ち枝の薄紅葉
誰が我が宿の物と見るらむ
- 歌の意味
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百舌のとまっている櫨の高く伸びた枝の薄紅葉を、誰が自分の家のものと思って見ているのだろうか。
- 鑑賞
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巻第三 秋歌 243
百舌がとまっている櫨の高い枝の薄紅葉は、あちこちの家から見えるので、誰が自分の家のものだと思って眺めているのだろうか、と詠む歌である。色づき始めた紅葉を、皆が我が物として愛でるさまを描いている。
本歌から紅葉の歌群が始まり、まだ薄く色づいた紅葉から詠み起こしている。
本巻の第二百四十三首から第二百五十三首までは紅葉の歌が続き、色づき始めた木々から、川や滝を埋めて散る紅葉までが詠まれていく。
作者の「仲実」は、藤原能成の子で中宮亮などを務めた藤原仲実である。堀河百首の作者の一人である。
初句「百舌のゐる」は百舌がとまっているの意で、秋の鳥を取り合わせている。
二句「櫨の立ち枝の」の「櫨」は秋に美しく紅葉する木で、「立ち枝」は高く伸びた枝である。
三句「薄紅葉」は薄く色づいた紅葉で、紅葉の初めのころを示している。
四句「誰が我が宿の」は誰が自分の家のの意である。
結句「物と見るらむ」は物と見ているのだろうかの意で、「らむ」は現在推量の助動詞である。
もず:百舌。秋に鋭く鳴く鳥
はじ:櫨。秋に美しく紅葉する木
たちえ:高く伸びた枝
- 作者
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藤原仲実
- 出典
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金葉和歌集
- 前の歌
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千年まで君が摘むべき菊なれば 露もあだには置かじとぞ思ふ
- 次の歌
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帚木の梢やいづこおぼつかな 皆園原は紅葉しにけり