古典和歌stream

惜しめども四方の紅葉は散り果てて
戸無瀬ぞ秋の泊りなりける

歌の意味
どんなに惜しんでも、四方の紅葉はすっかり散り果てて、それが流れ着く戸無瀬こそ、秋の行き着く泊まりであったことだ。
鑑賞
巻第三 秋歌 256

 どんなに惜しんでも四方の山の紅葉はすっかり散ってしまい、その紅葉が流れ着く戸無瀬こそ、去っていく秋の最後の泊まりであった、と詠む歌である。散った紅葉とともに秋も川を下って戸無瀬にとどまるという見立てで、秋の終わりを描いている。
 本歌は巻第三秋歌の巻末歌である。巻頭の第百五十六首も同じ作者の歌で、秋の立つ日の涼しさで始まった秋の巻を、秋の行き着く泊まりで結び、巻頭と巻末が呼応している。前々歌の第二百五十四首の「四方の」、本巻の第二百五十三首の「戸無瀬の滝」を受け、紅葉と暮秋の歌を締めくくっている。
 本巻の第二百五十四首から第二百五十六首までは暮れていく秋を惜しむ歌で、秋の巻を結んでいる。
 作者の「公実」は、藤原実季の子で権大納言に至った藤原公実である。春宮大夫を兼ねた。堀河天皇の時代の歌壇で活躍した歌人である。

 初句「惜しめども」は惜しんでもの意の逆接で、秋の終わりを惜しむ心を示している。
 二句「四方の紅葉は」は四方の山々の紅葉はの意で、本巻の第二百五十四首の「四方の山辺」と同じく「四方」の語を用いている。
 三句「散り果てて」は、すっかり散ってしまっての意である。
 四句「戸無瀬ぞ秋の」は戸無瀬こそが秋のの意で、係助詞「ぞ」が結句の連体形「ける」と係り結びをなす。本巻の第二百五十三首の「戸無瀬の滝」を受けている。
 結句「泊りなりける」の「泊り」は舟を泊める所で、去っていく秋の行き着く所をいう。本巻の第二百八首の「泊りなるらむ」と同じ語で、巻頭の第百五十六首の秋の立つ日と対をなして、秋の終わりを示している。

よも:四方、あちらこちら
となせ:大井川の上流、嵐山のあたりの地名
とまり:舟を泊める所、港
作者
藤原公実
出典
金葉和歌集
前の歌
草の葉にはかなく消ゆる露をしも 形見に置きて秋の行くらむ
次の歌
神無月しぐるるままに暗部山 下照るばかり紅葉しにけり