いかにせむ末の松山波越さば
峰の初雪消えもこそすれ
- 歌の意味
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どうしたらよいだろう。末の松山を波が越えたなら、峰に降った初雪が消えてしまうかもしれない。
- 鑑賞
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巻第四 冬歌 284
末の松山を波が越えたなら、峰に積もった初雪が消えてしまうかもしれない、どうしたらよいだろう、と案じる歌である。決して波が越えないとされる末の松山をあえて詠み、峰の白い初雪を惜しむ心を表している。
古今和歌集の東歌「君をおきてあだし心をわが持たば末の松山波も越えなむ」を本歌とする。本歌で起こり得ないことのたとえとして詠まれた「末の松山を波が越える」を取り、初雪を惜しむ心に転じている。
本巻の第二百七十九首、第二百八十首に続く初雪の歌で、第二百七十九首が初雪を白波に見立てたのに対し、本歌は波が初雪を消すことを案じている。
本巻の第二百七十七首から第二百九十三首までは雪を詠む歌が中心で、その間の第二百八十一首から第二百八十三首には鷹狩の歌が置かれている。
作者の「匡房」は、大江成衡の子で権中納言に至った大江匡房である。当代随一の学者として知られ、大宰権帥を務めたことから江帥と呼ばれた。小倉百人一首にも歌が採られている。
初句「いかにせむ」はどうしたらよいだろうの意で、意志の「む」による思い迷いを表す。ここで句切れとなる初句切れの歌である。
二句「末の松山」は陸奥の歌枕で、波が越えることはないとされた山である。
三句「波越さば」は波が越えたならの意で、未然形に「ば」を付けた仮定の形である。
四句「峰の初雪」は峰に降った初雪で、本巻の第二百七十九首の結句「降れる初雪」と同じく初雪を詠んでいる。
結句「消えもこそすれ」は消えてしまうかもしれないの意で、「もこそ」は悪い事態を危ぶむ気持ちを表し、係助詞「こそ」が已然形「すれ」と係り結びをなす。
すゑのまつやま:陸奥国の歌枕。波が越えることはないとされた
- 作者
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大江匡房
- 出典
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金葉和歌集
- 前の歌
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ことわりや交野の小野に鳴くきぎす さこそは狩りの人はつらけれ
- 次の歌
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降る雪に杉の青葉も埋もれて しるしも見えず三輪の山もと