伊勢の海の小野の古江に朽ち果てで
都の方へ帰れとぞ思ふ
- 歌の意味
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伊勢の海の小野の古江で朽ち果ててしまうことなく、都の方へ帰ってこいと思うのだ。
- 鑑賞
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巻第六 別歌 342
伊勢の海の小野の古江で朽ち果ててしまわずに、都へ帰ってきてほしい、と旅立つ人に願う歌である。古びた入り江を意味する「古江」に「朽ち果つ」を取り合わせ、遠い地にとどまったまま世に埋もれることのないよう願っている。
伝本の中には、「源俊頼朝臣伊勢へまかる事ありて出で立ちける時、人々餞しはべりけるによめる」の詞書を持つものがある。本集の撰者源俊頼が伊勢へ赴く際の送別の宴で詠んだ歌ということになる。
作者の「師頼」は、左大臣源俊房の子で、大納言に至った源師頼である。堀河百首の作者の一人である。
初句「伊勢の海の」は伊勢の国の海のの意である。
二句「小野の古江に」は伊勢の地名とされる小野の古江にの意で、「古江」は古い入り江をいう。
三句「朽ち果てで」は朽ち果ててしまわないでの意で、打消の接続助詞「で」を用いる。仮名の「はてて」に濁点を補って読んでいる。二句の「古江」の古びたさまと縁を結んでいる。
四句「都の方へ」は都の方へとの意で、本巻の第三百三十四首の「花の都」、第三百四十七首の「都を偲ぶ」と同じく都を詠んでいる。
結句「帰れとぞ思ふ」は帰ってこいと思うの意で、係助詞「ぞ」が連体形「思ふ」と係り結びをなす。本巻の第三百三十六首の「帰るべき」、次歌の第三百四十三首の「帰り来む」と同じく帰りを詠んでいる。
をののふるえ:伊勢国の地名とされる。古い入り江
くちはつ:すっかり朽ちてしまう。世に埋もれて終わる
- 作者
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源師頼
- 出典
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金葉和歌集
- 前の歌
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沖つ島雲居の岸を行き帰り 文通はさむ幻もがな
- 次の歌
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待ちつけむ我が身なりせば幾千度 帰り来む日を君に問はまし