待ちつけむ我が身なりせば幾千度
帰り来む日を君に問はまし
- 歌の意味
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あなたの帰りを待ち迎えることのできる我が身であったなら、帰ってくる日を、幾千度でもあなたに尋ねるだろうに。
- 鑑賞
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巻第六 別歌 343
あなたの帰りを待ち迎えられる身であるならば、帰ってくる日を何千度でも尋ねるのだが、と詠む歌である。反実仮想の形を用いて、自分はその日まで待ち迎えられるかわからない身であるという思いをにじませ、帰る日を尋ねることさえためらわれる別れの悲しさを表している。
伝本の中には、作者を源行宗とするものがある。
本巻の第三百四十六首も、我が身の行く末を思って再会を待てるかどうかを嘆いており、本歌と対応している。
初句「待ちつけむ」は待ち迎えるであろうの意で、本巻の第三百四十六首の結句「いかが待つべき」と同じく待つことを詠んでいる。
二句「我が身なりせば」は我が身であったならの意で、過去の「き」の未然形「せ」に「ば」を付けた仮定であり、結句の「まし」と呼応して反実仮想を表す。本巻の第三百四十六首の二句「我が身は末に」にも「我が身」が詠まれている。
三句「幾千度」は何千回もの意で、尋ねたい思いの強さを示している。
四句「帰り来む日を」は帰ってくるであろう日をの意で、前歌の第三百四十二首の「帰れ」を受けている。
結句「君に問はまし」はあなたに尋ねるだろうにの意で、反実仮想の「まし」で結んでいる。
まちつく:待っていて迎える
- 出典
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金葉和歌集
- 前の歌
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伊勢の海の小野の古江に朽ち果てで 都の方へ帰れとぞ思ふ
- 次の歌
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今日はさは立ち別るとも便りあらば ありやなしやの情け忘るな