逢ふことはいつとなぎさの浜千鳥
波の立ち居に音をのみぞ泣く
- 歌の意味
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逢うことはいつとも知れず、渚の浜千鳥が波の寄せ返すたびに立ったり居たりして鳴くように、私も起きても座っても声を上げて泣くばかりだ。
- 鑑賞
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巻第七 恋歌上 361
逢える日はいつとも知れず、渚の浜千鳥が波に追われて立ったり居たりしながら鳴くように、自分も起きても座っても泣いてばかりいる、と詠む歌である。浜千鳥の姿に、落ち着くことのない恋の嘆きを重ねている。
伝本の中には、作者を源雅定とするものがある。
本巻の第三百五十二首は鶏の声とともに泣く姿を詠み、本歌は浜千鳥とともに泣く姿を詠んでいる。
初句「逢ふことは」は逢うことはの意である。
二句「いつとなぎさの」の「なぎさ」は、いつとも「無き」の意と、波打ち際の「渚」とを掛けており、平仮名のままとした。本巻の第四百九首の「かひもなぎさの」も同じ掛詞である。
三句「浜千鳥」は浜辺の千鳥で、初句から三句までが、鳴くさまを導く序となっている。
四句「波の立ち居に」は波が寄せては返すたびにの意で、千鳥が立ったり居たりするさまと、自分の起き伏しとを重ねている。
結句「音をのみぞ泣く」は声を上げて泣いてばかりいるの意で、係助詞「ぞ」が連体形「泣く」と係り結びをなす。
なぎさ:いつとも「無き」の意と、波打ち際の「渚」を掛ける
たちゐ:立ったり座ったりすること
- 出典
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金葉和歌集
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何せむに思ひかけけむ唐衣 恋しきことはみさをならぬに
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思ひ出づやありしその夜の呉竹は あさましかりしふし所かな