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あさましやなどかき絶ゆる藻塩草
さこそは海人のすさびなりとも

歌の意味
あきれたことだ。どうして便りを書き絶やしてしまうのか。藻塩草を掻き集める海人の、ほんの気まぐれの慰みであったとしても。
鑑賞
巻第七 恋歌上 372

 どうして手紙を書き絶やしてしまうのか、たとえ海人が藻塩草をかき集めるような、ほんの気まぐれの恋であったとしても、と相手をなじる歌である。藻塩草をかく海人のわざに、手紙を書くことを重ねている。
 伝本の中には、「さはることありて久しく音づれざりける女のもとより言ひつかはしてはべりける」の詞書を持つものがある。差し支えがあって長く訪れなかった男のもとへ、女から言い贈った歌ということになる。
 本巻の第三百九十六首の初句も「あさましや」である。本巻の第四百四首の「かき絶えて」も便りの途絶えを詠んでいる。

 初句「あさましや」はあきれたことだの意で、ここで句切れとなる初句切れの歌である。本巻の第三百九十六首の初句と同じ句である。
 二句「などかき絶ゆる」の「かき」は、手紙を「書き」の意と、藻塩草を「掻き」の意とを掛けており、平仮名のままとした。疑問の副詞「など」を受けて連体形で結んでいる。本巻の第四百四首の初句「かき絶えて」と同じ語である。
 三句「藻塩草」は塩を焼くためにかき集める海藻で、手紙をいう歌語でもある。
 四句「さこそは海人の」はいかにも海人のの意で、結句の「とも」と呼応している。
 結句「すさびなりとも」は慰みであってもの意で、逆接仮定の「とも」を用いる。次歌の第三百七十三首の「筆のすさび」と同じく「すさび」を詠んでいる。

かく:手紙を「書く」意と、藻塩草を「掻く」意を掛ける
もしほぐさ:塩を焼くためにかき集める海藻。手紙をいう
すさび:気まぐれの慰み
作者
よみ人しらず
出典
金葉和歌集
前の歌
面影は数ならぬ身に恋ひられて 雲居の月を誰と見るらむ
次の歌
ふみ初めて思ひ返りし紅の 筆のすさびをいかで見せけむ