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なぞもかくこひぢに立ちてあやめ草
あまり長引く五月なるらむ

歌の意味
どうしてこのように恋の道に立って、泥に生えるあやめ草の根を引くように、あまりにも長引く五月なのだろうか。
鑑賞
巻第七 恋歌上 389

 閏月のある年の五月を、泥に立つあやめ草の長い根に重ね、どうして恋の道に立つ自分にとって五月はこんなにも長く続くのか、と嘆く歌である。逢う日を待ちわびる心を、長引く五月に託している。
 伝本の中には、作者を橘季通とし、「閏五月はべりける年、人を語らひけるが、後の五月過ぐしてなど申しければよめる」の詞書を持つものがある。閏五月のある年に、言い寄った人から後の五月を過ぎてからと言われて詠んだ歌ということになる。
 巻頭の第三百五十首も「こひぢ」と「あやめ草」を詠んでおり、本歌と呼応している。

 初句「なぞもかく」はどうしてこのようにの意で、結句の「らむ」と呼応している。本巻の第四百十首の初句と同じ句である。
 二句「こひぢに立ちて」の「こひぢ」は、「恋路」と、泥の意の「小泥」とを掛けており、平仮名のままとした。巻頭の第三百五十首の四句「かかるこひぢに」と同じ掛詞である。
 三句「あやめ草」は菖蒲で、五月の景物である。泥の中に生え、根が長いことから四句の「長引く」を導いている。
 四句「あまり長引く」はあまりにも長く引き続くの意で、あやめ草の根を引く意を響かせている。
 結句「五月なるらむ」は五月なのだろうかの意で、現在推量の「らむ」を用いる。閏月によって五月が二度ある年であることをふまえている。

こひぢ:「恋路」と、泥の意の「小泥」を掛ける
あやめぐさ:菖蒲。根が長い
さつき:陰暦五月
出典
金葉和歌集
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あやめにもあらぬ真菰を引きかけし かりのよどのの忘られぬかな
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