- 歌の意味
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待っている人が大空を渡ってゆく月であったならば、涙に濡れる袂に映る姿だけでも見ることができるだろうに。
- 鑑賞
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巻第八 恋歌下 453
待っている人が大空を渡る月であったなら、涙に濡れた袂に映る姿だけでも見られるだろうに、と詠む歌である。月ならば涙の袖にも影を宿すのに、待つ人は姿さえ見せないと、反実仮想によって嘆いている。
本巻の第四百二十四首、第四百七十首と同じく、月に寄せて恋人を待つ思いを詠んでいる。
作者の「永縁」は、藤原永相の子で、興福寺の僧として権僧正に至った歌僧である。ほととぎすの歌で名高く、初音の僧正と呼ばれた。堀河百首の作者の一人でもある。
初句「待つ人の」は、私が待っている人がの意である。
二句「大空渡る」は、大空を渡ってゆくの意である。
三句「月ならば」は、月であったならばの意で、断定の「なり」の未然形に接続助詞「ば」が付いた仮定条件を表す。
四句「濡るる袂に」は、涙に濡れる袂にの意で、袂の涙に月の光が映ることをいう。
結句「影は見てまし」は、姿だけでも見ることができるだろうにの意で、反実仮想の「まし」を用い、三句の「ならば」と呼応している。
たもと:袖の下の垂れた部分
かげ:月の光。また水などに映る姿
- 作者
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永縁
- 出典
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金葉和歌集
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水の面に降る白雪のかたもなく 消えやしなまし人のつらさに
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逢ふこともなごえにあさる葦鴨の うき寝をなくと人は知らずや