逢ふことはいつともなくてあはれ我が
知らぬ命に年を経るかな
- 歌の意味
-
逢うことはいつとも当てのないまま、ああ、私はいつ尽きるとも知れない命で、年を重ねていくことだ。
- 鑑賞
-
巻第八 恋歌下 466
逢うことはいつになるとも当てがないまま、ああ、いつ終わるとも知れない命で年月を重ねていく、と詠む歌である。逢う時の知れなさと命の終わりの知れなさとを重ね、むなしく過ぎる歳月を嘆いている。
本巻の第四百三十一首は「いつとも知らで」と、同じ「いつとも」の語を用いて、日の暮れるまでも定めない世に恋い続けると詠んでいる。その歌が一日の暮れを尺度とするのに対し、本歌は年月を尺度としており、同じ主題を別の時間の幅で扱っている。
作者の「経信」は、源道方の子で、大納言に至った源経信である。桂大納言と呼ばれ、本集の撰者源俊頼の父にあたる。小倉百人一首にも歌が採られている。
初句「逢ふことは」は、恋人に逢うことはの意である。
二句「いつともなくて」は、いつとも当てがなくての意で、本巻の第四百三十一首の四句「いつとも知らで」と通じている。
三句「あはれ我が」は、ああ、私のの意で、感動詞「あはれ」を挟んで嘆きを表している。
四句「知らぬ命に」は、いつ尽きるとも知れない命での意である。
結句「年を経るかな」は、年を重ねることだの意で、詠嘆の終助詞「かな」で結んでいる。
ふ:時がたつ、経る
- 作者
-
源経信
- 出典
-
金葉和歌集
- 前の歌
-
恋ひわびて絶えぬ思ひの煙もや 空しき空の雲となるらむ
- 次の歌
-
人知れず思ふ心をかなへなむ 神あらはれて見えぬとならば