- 歌の意味
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山里もこのつらい世の中を離れているわけではないので、谷の鶯は声をあげて鳴いてばかりいる。
- 鑑賞
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巻第九 雑歌上 517
山里といっても、つらいこの世の中から離れた場所ではないので、谷に住む鶯も声をあげて鳴いてばかりいる、と詠む歌である。世を逃れる場所と考えられた山里にも憂いはあると見て、鶯の鳴き声を泣く声に重ね、世の憂さから逃れられない思いを表している。
「山里」は本巻の第五百三十二首にも詠まれ、そこでは山里の心細さから住み続けられないと嘆いている。
作者の「忠通」は、関白藤原忠実の子で、摂政関白太政大臣となり、法性寺入道と呼ばれた藤原忠通である。小倉百人一首にも歌が採られている。
初句「山里も」は、山里もまたの意で、係助詞「も」は、世を逃れる場所と考えられる山里でさえもの意を添えている。
二句「憂き世の中を」は、つらいこの世の中をの意である。
三句「離れねば」は、離れていないのでの意で、打消の「ず」の已然形「ね」に接続助詞「ば」が付いて確定条件を表す。
四句「谷の鶯」は、谷に住む鶯の意である。山里の中でもさらに奥深い谷の鳥に、世を逃れきれない身を重ねている。
結句「音をのみぞ鳴く」は、声をあげて鳴いてばかりいるの意で、係助詞「ぞ」を受けて連体形「鳴く」で結ぶ係り結びとなっている。「鳴く」に人が「泣く」意を響かせている。
- 作者
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藤原忠通
- 出典
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金葉和歌集
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神垣に昔我が見し梅の花 ともに老い木となりにけるかな
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植ゑおきし君もなき世に年経たる 花は我が身の心地こそすれ