幾年に我なりぬらむ諸人の
花見る春をよそに聞きつつ
- 歌の意味
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私はもう何年になったのだろうか。人々が花を見る春の楽しみを、自分には関係のないこととして聞きながら過ごして。
- 鑑賞
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巻第九 雑歌上 522
人々が花見を楽しむ春を、自分とは関わりのないこととして聞くばかりで、もう何年になったのだろうか、と詠む歌である。世の華やぎから離れて暮らす身の寂しさを、花見の噂を遠く聞くという形で表している。
前歌の第五百二十一首が、山中で花よりほかに心を知る人もないと詠んだのに対し、本歌は人々の花見を遠くに聞くばかりの身を詠み、花と人とから隔てられた孤独が並んでいる。
初句「幾年に」は、何年にの意である。
二句「我なりぬらむ」は、私はなったのだろうかの意で、完了の「ぬ」に現在推量の「らむ」が付き、過ぎた年月を数えている。ここで句切れとなり、三句以下が理由を示す倒置の形となっている。
三句「諸人の」は、多くの人々のの意である。
四句「花見る春を」は、花を見て楽しむ春をの意である。
結句「よそに聞きつつ」は、自分とは関係のないこととして聞きながらの意で、反復継続を表す接続助詞「つつ」で余韻を残して結んでいる。
もろびと:多くの人々
よそ:自分とは関わりのないところ
- 出典
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金葉和歌集
- 前の歌
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もろともにあはれと思へ山桜 花よりほかに知る人もなし
- 次の歌
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皆人は吉野の山の桜花 をり知らぬ身や谷の埋もれ木