- 歌の意味
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世の人々はみな、吉野の山の桜の花のように時を得て栄えている。時節を知らない我が身は、谷に埋もれた木なのだろうか。
- 鑑賞
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巻第九 雑歌上 523
世の人々はみな吉野の山の桜の花のように盛りを迎えているが、時節を知らない自分の身は、谷に埋もれた木なのだろうか、と詠む歌である。華やかに咲く吉野の桜と、日の当たらない谷の埋もれ木とを対比させ、時を得て栄える人々の中で取り残された身の不遇を嘆いている。
「埋もれ木」は、次々歌の第五百二十五首にも「春に知られぬ埋もれ木」と詠まれ、ともに花の季節に取り残された不遇の身をたとえている。
初句「皆人は」は、世の人々はみなの意である。
二句「吉野の山の」は、桜の名所である大和の吉野山のの意である。
三句「桜花」は、盛りに咲く桜の花の意で、時を得て栄える人々をたとえている。ここで句切れとなる。
四句「をり知らぬ身や」の「をり」は、時節の意の「折」と、枝を折る意の「折り」とを掛けており、平仮名のままとした。花の盛りの時節を知らず、手折られることもない身の意である。係助詞「や」は疑問を表す。
結句「谷の埋もれ木」は、谷に埋もれた木の意で、世に知られず不遇のままの身をたとえる。体言止めで、三句の「桜花」と対比をなして結んでいる。次々歌の第五百二十五首にも「埋もれ木」が詠まれている。
をり:時節の意の「折」と、枝を折る意の「折り」を掛ける
うもれぎ:土や水の中に長く埋もれていた木。世に知られず不遇な身のたとえ
- 出典
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金葉和歌集
- 前の歌
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幾年に我なりぬらむ諸人の 花見る春をよそに聞きつつ
- 次の歌
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去年見しに色も変はらず咲きにけり 花こそものは思はざりけれ