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年を経て通ふ山路は変はらねど
今日はさかゆく心地こそすれ

歌の意味
年を重ねて通い続けている山道は変わらないけれども、今日は坂を上っていくように、栄えていく心地がすることだ。
鑑賞
巻第九 雑歌上 528

 長年通い慣れている山道は少しも変わらないが、今日は坂を上っていくにつれて栄えていくような心地がする、と詠む歌である。いつもと同じ山道を行きながら、めでたいことのあった今日は格別の思いがあることを、「坂行く」と「栄ゆく」の掛詞で表している。
 結句「心地こそすれ」は、本巻の第五百十八首の結句と同じである。第五百十八首が残された花に我が身を重ねる嘆きを詠んだのに対し、本歌は栄えていく喜びを詠んでおり、同じ結句で悲喜の対照をなしている。
 作者の「良暹」は、平安時代中期の天台宗の僧で、祇園別当を務めたと伝わる歌人である。小倉百人一首にも歌が採られている。

 初句「年を経て」は、年を重ねての意である。
 二句「通ふ山路は」は、通い慣れている山道はの意である。
 三句「変はらねど」は、変わらないけれどもの意で、打消の「ず」の已然形「ね」に逆接の「ど」が付いている。
 四句「今日はさかゆく」の「さかゆく」は、坂を上っていく意の「坂行く」と、栄えていく意の「栄ゆく」とを掛けており、平仮名のままとした。二句の「山路」と縁をなしている。
 結句「心地こそすれ」は、心地がすることだの意で、係助詞「こそ」を受けてサ変動詞「す」の已然形「すれ」で結ぶ係り結びとなっている。本巻の第五百十八首と同じ結句である。

さかゆく:坂を上っていく意の「坂行く」と、栄えていく意の「栄ゆく」を掛ける
作者
良暹
出典
金葉和歌集
前の歌
ちはやぶる香椎の宮の杉の葉を ふたたびかざす我が君ぞ君
次の歌
思ひかね今朝は空をや眺むらむ 雲の通ひ路霞隔てて