- 歌の意味
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思いに耐えかねて、今朝は空をぼんやりと眺めているのだろうか。雲の中の通い路を霞が隔ててしまって。
- 鑑賞
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巻第九 雑歌上 529
思いに耐えかねて、今朝はあの人も空を眺めているのだろうか、雲の中の通い路を霞が隔ててしまって、と詠む歌である。「雲の通ひ路」は天上に通う道をいい、宮中への出仕をたとえる言葉でもある。宮中に通う道を霞に隔てられて参内できなくなった人を思いやり、その人の心中を推し量った歌とみられる。
「雲の通ひ路」は、『古今和歌集』の「天つ風雲の通ひ路吹きとぢよをとめの姿しばしとどめむ」で知られる語である。本巻では第五百七十首に「雲の梯」が詠まれ、宮中に再び昇る道を求めている。
初句「思ひかね」は、思いに耐えきれずにの意である。
二句「今朝は空をや」は、今朝は空をの意で、係助詞「や」は疑問を表し、三句の「らむ」と係り結びをなしている。
三句「眺むらむ」は、眺めているのだろうかの意で、現在推量の「らむ」の連体形で、二句の「や」を受けて結んでいる。ここで句切れとなる。
四句「雲の通ひ路」は、雲の中にあるという天上への通い路の意で、宮中への出仕をたとえている。本巻の第五百七十首の「雲の梯」と通じる表現である。
結句「霞隔てて」は、霞が隔ててしまっての意で、春霞が宮中への道を隔てたことをいい、三句以前に対して理由を述べる倒置の形で結んでいる。
おもひかぬ:思いに耐えきれない
くものかよひぢ:雲の中にあるという天上への通い路。宮中への出仕のたとえ
- 出典
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金葉和歌集
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年を経て通ふ山路は変はらねど 今日はさかゆく心地こそすれ
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幾かへり花咲きぬらむ住吉の 松も神代のものとこそ聞け