草の庵なに露けしと思ひけむ
漏らぬ岩屋も袖は濡れけり
- 歌の意味
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草の庵をどうして露っぽいと思っていたのだろう。雨露の漏らない岩屋の中でも、袖は涙に濡れることだ。
- 鑑賞
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巻第九 雑歌上 533
草葺きの庵をどうして露に濡れるところだなどと思っていたのだろう、雨露の漏らない岩屋の中でも、袖は涙で濡れるものだった、と詠む歌である。修行の場である岩屋に籠もって、袖を濡らすのは露ではなく自らの涙であったと気づき、修行の厳しさと心細さを表している。
伝本の中には、大峰の笙の岩屋で詠んだとする詞書を持つものがある。修験の行者であった作者が、大峰山中の笙の岩屋に籠もった折の歌とされる。本巻の第五百二十一首と同じく、山中の修行の中で詠まれた歌である。
作者の「行尊」は、参議源基平の子で、園城寺の僧として大僧正に至り、修験者としても名高い歌人である。
初句「草の庵」は、草で屋根を葺いた粗末な庵の意で、露に濡れやすい住まいとされた。
二句「なに露けしと」は、どうして露っぽいとの意で、「なに」は疑問を表す。
三句「思ひけむ」は、思っていたのだろうかの意で、過去推量の「けむ」の連体形で結び、ここで句切れとなる三句切れの歌である。
四句「漏らぬ岩屋も」は、雨露の漏らない岩屋でもの意で、初句の「草の庵」と対比している。
結句「袖は濡れけり」は、袖は濡れることだの意で、詠嘆の「けり」で、袖を濡らすのが涙であることへの気づきを表して結んでいる。
いはや:岩の洞窟
- 作者
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行尊
- 出典
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金葉和歌集
- 前の歌
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かくてしもえぞ住むまじき山里の 細谷川の心細さに
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春の来しその日つららは解けにしを 又何事にとどこほるらむ