木の間洩る片割れ月のほのかにも
誰か我が身を思ひ出づべき
- 歌の意味
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木の間から漏れてくる片割れ月の光のように、ほのかにでも、いったい誰が私のことを思い出してくれるだろうか。
- 鑑賞
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巻第九 雑歌上 536
木々の間から漏れてくる半月の光のように、ほんのかすかにでも、誰が自分のことを思い出してくれるだろうか、誰も思い出してはくれまい、と詠む歌である。山中で修行する身が、都の人々からも忘れられていく孤独を、木の間の淡い月光に託して表している。
作者の「行尊」は、参議源基平の子で、園城寺の僧として大僧正に至り、修験者としても名高い歌人である。
初句「木の間洩る」は、木々の間から漏れてくるの意である。
二句「片割れ月の」は、半月のの意で、「片割れ月」は欠けて半分になった月をいう。初句からここまでが三句の「ほのかに」を導く序詞となっている。
三句「ほのかにも」は、かすかにでもの意で、木の間の淡い月光と、人がかすかに思い出すこととを重ねている。
四句「誰か我が身を」は、いったい誰が私をの意で、係助詞「か」は反語を表し、結句と係り結びをなしている。
結句「思ひ出づべき」は、思い出すだろうか、いや誰も思い出しはしないの意で、推量の「べし」の連体形で、四句の「か」を受けて結んでいる。
かたわれづき:欠けて半分になった月、半月
- 作者
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行尊
- 出典
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金葉和歌集
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この世には山の端出づる月をのみ 待つことにてもやみぬべきかな
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春日山峰続き照る月影に 知られぬ谷の松もありけり