仕へつるこのみのほどを数ふれば
あはれ梢になりにけるかな
- 歌の意味
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お仕えしてきたこの身の年月を数えてみると、ああ、木の実が梢になるように、私も末の身となってしまったことだ。
- 鑑賞
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巻第九 雑歌上 562
お仕えしてきたこの身の年月を数えてみると、ああ、木の実が梢に実るように、自分ももはや晩年に至ってしまったことだ、と詠む歌である。「このみ」に「此の身」と「木の実」を掛け、木の実が梢になる意と、身が末になる意とを重ねて、長年の奉仕を経て老いた身への感慨を表している。
次歌の第五百六十三首は本歌に答えた歌で、同じく「このみ」の掛詞を用いており、二首で贈答をなしている。
作者の「頼宗」は、藤原道長の次男で、右大臣に至り、堀河右大臣と呼ばれた藤原頼宗である。
初句「仕へつる」は、お仕えしてきたの意で、完了の「つ」の連体形が用いられている。
二句「このみのほどを」の「このみ」は、「此の身」と「木の実」とを掛けており、平仮名のままとした。この身の年月をの意である。次歌の第五百六十三首の四句にも同じ「このみ」が用いられている。
三句「数ふれば」は、数えてみるとの意で、已然形に接続助詞「ば」が付いている。
四句「あはれ梢に」は、ああ梢にの意で、「梢」は木の枝先の意と、末、晩年の意とを重ねている。二句の「木の実」と縁語をなしている。
結句「なりにけるかな」は、なってしまったことだの意で、「なる」は木の実が「生る」意と、身が末に「成る」意とを重ねている。完了の「ぬ」と詠嘆の「けり」に終助詞「かな」が付いている。
このみ:「此の身」と「木の実」を掛ける
こずゑ:木の枝先。転じて末、晩年
- 作者
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藤原頼宗
- 出典
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金葉和歌集
- 前の歌
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早き瀬に立たぬばかりぞ水車 我も憂き世にめぐるとを知れ
- 次の歌
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過ぎきける月日のほども知られつつ このみを見るもあはれなるかな