ひぐらしの声ばかりする柴の戸は
入日のさすにまかせてぞ見る
- 歌の意味
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ひぐらしの声ばかりがする柴の戸は、入日が差し込むのにまかせ、閉ざすこともなく眺めている。
- 鑑賞
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巻第九 雑歌上 568
ひぐらしの鳴く声ばかりが聞こえる山里の柴の戸は、閉ざすこともなく、入日が差し込むのにまかせて眺めている、と詠む歌である。訪れる人もない山里の侘び住まいの夕暮れを、ひぐらしの声と差し込む夕日によって描いている。
「さす」に、日が「射す」意と、戸を「鎖す」意とを掛け、戸を閉ざす代わりに夕日が差し込むにまかせるという趣向で、人の訪れのない寂しさを表している。
作者の「顕季」は、藤原隆経の子で、修理大夫に至り、六条藤家の祖となった藤原顕季である。白河院の近臣として重んじられた。
初句「ひぐらしの」は、蝉の一種の蜩のの意で、夕暮れに鳴く声が寂しさを誘う。一日を暮らす意の「日暮らし」を響かせている。
二句「声ばかりする」は、声ばかりが聞こえるの意で、ほかに訪れる者のないことを表している。
三句「柴の戸は」は、柴で作った粗末な戸はの意で、山里の侘び住まいをいう。
四句「入日のさすに」の「さす」は、日が「射す」意と、戸を「鎖す」意とを掛けており、平仮名のままとした。三句の「戸」と縁語をなしている。
結句「まかせてぞ見る」は、まかせて眺めているの意で、係助詞「ぞ」を受けて連体形「見る」で結ぶ係り結びとなっている。
ひぐらし:蝉の一種、蜩。夕暮れに鳴く
しばのと:柴で作った粗末な戸。山里の侘び住まい
さす:日が「射す」意と、戸を「鎖す」意を掛ける
- 作者
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藤原顕季
- 出典
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金葉和歌集
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鳥の子のまだかひながらあらませば 尾羽といふものは生ひ出でざらまし
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年ふれば我が頂に置く霜を 草の上とも思ひけるかな