千年まですまむ泉の底によも
影を並べむと思ひしもせじ
- 歌の意味
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千年までも澄み続けるであろうこの泉の底に、まさか自分の姿を並べて映そうとは、思いもしなかっただろう。
- 鑑賞
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巻第九 雑歌上 589
千年先まで澄み続け、住み続けるであろうこの泉の底に、まさか自分の姿を並べて映すことになろうとは思いもしなかっただろう、と詠む歌である。長く栄える家の泉に、自分のような者が姿を並べて映すことになったことへの驚きと恐縮の思いを、「澄む」「住む」の掛詞を用いて表している。
泉は邸宅の庭の泉とみられ、その家の繁栄をたたえる祝いの心が込められているとも読める。
初句「千年まで」は、千年先までの意で、泉や家の長久をたたえている。
二句「すまむ泉の」の「すま」は、泉の水が「澄む」意と、そこに「住む」意とを掛けており、平仮名のままとした。
三句「底によも」は、底にまさかの意で、副詞「よも」は結句の打消推量の「じ」と呼応する。
四句「影を並べむと」は、姿を並べて映そうとの意で、意志の「む」が用いられている。字余りの句となっている。
結句「思ひしもせじ」は、思いもしなかっただろうの意で、副助詞「し」と係助詞「も」が強調を添え、打消推量の「じ」で三句の「よも」と呼応して結んでいる。
すむ:泉の水が「澄む」意と、そこに「住む」意を掛ける
かげ:姿、映った像
- 出典
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金葉和歌集
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草の葉のなびくも待たず露の身の 置きどころなく嘆くころかな
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宇治川の底の水屑となりながら なほ雲かかる山ぞ恋しき