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聞きわたる御手洗川の水清み
底の心を今日ぞ見るべき

歌の意味
かねてから評判を聞いていた御手洗川の水が清らかなので、その底のように、あなたの心の奥底を今日こそ見ることができるだろう。
鑑賞
巻第九 雑歌上 592

 かねてから評判に聞いていた御手洗川の水が清らかなので、川底が透けて見えるように、あなたの心の奥底を今日こそ見ることができるだろう、と詠む歌である。神社の御手洗川の清らかさに寄せて、相手の誠実な心を今日こそ確かめられると期待している。
 作者は住吉社の神主であり、神社の御手洗川を詠むのにふさわしい立場にあった。本巻の第五百三十首は住吉の松を詠んでいる。
 作者の「国基」は、住吉社の神主を務めた津守国基である。『後拾遺和歌集』以下の勅撰集に歌が採られている。

 初句「聞きわたる」は、かねてから評判を聞いているの意で、「わたる」は時間的な継続を表す。
 二句「御手洗川の」は、神社の参詣者が手を洗い口をすすいで身を清める川のの意である。
 三句「水清み」は、水が清らかなのでの意で、形容詞の語幹「清」に接尾語「み」が付いて理由を表している。
 四句「底の心を」は、底のような心の奥底をの意で、川の底と心の奥底とを重ねている。
 結句「今日ぞ見るべき」は、今日こそ見ることができるだろうの意で、係助詞「ぞ」を受けて推量の「べし」の連体形で結ぶ係り結びとなっている。

みたらしがは:神社の参詣者が手を洗い口をすすいで身を清める川
ききわたる:かねてから評判を聞いている
作者
津守国基
出典
金葉和歌集
前の歌
住みわびて我さへ軒の忍ぶ草 しのぶかたがた繁き宿かな
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石畳ありけるものを君にまた しくものなしと思ひけるかな