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桜ゆゑ厭ひし風の身にしみて
花より先に散りぬべきかな

歌の意味
桜のために嫌っていた風が我が身にしみて、花よりも先に、私のほうが散ってしまいそうだ。
鑑賞
巻第十 雑歌下 606

 桜の花を散らすからと嫌っていた風が、今は我が身にしみて、花よりも先に自分が散ってしまいそうだ、と詠む歌である。「散る」に命が尽きる意を重ね、花の散るのを惜しむ身が、かえって花より先に世を去ろうとしている心細さを表している。
 前歌の第六百五首が散って根に帰った花を詠んだのに対し、本歌は花よりも先に散ろうとする我が身を詠む。花と人の命の先後を対比させた配列となっている。

 初句「桜ゆゑ」は、桜のためにの意で、桜を散らすことを理由としている。
 二句「厭ひし風の」は、嫌っていた風がの意で、過去の「き」の連体形「し」が用いられている。花を散らす風を嫌うのは、春の歌に多く見られる趣向である。
 三句「身にしみて」は、我が身にしみての意で、花に向けていた風が自分の身にこたえるようになったことをいう。
 四句「花より先に」は、花よりも先にの意で、前歌の第六百五首の散って根に帰った花と対をなしている。
 結句「散りぬべきかな」は、散ってしまいそうだの意で、完了の「ぬ」に推量の「べし」の連体形、終助詞「かな」が付く。花が散る意に、命が尽きる意を重ねている。

いとふ:嫌って避ける
ちる:花が散ること。ここでは人の命が尽きることにたとえる
出典
金葉和歌集
前の歌
根に帰る花の姿の恋しくは ただ木のもとを形見とは見よ
次の歌
難波江の葦の若根の繁ければ 心もゆかぬ船出をぞする