流れても逢ふ瀬ありけり涙川
消えにし泡を何にたとへむ
- 歌の意味
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涙川は流れていっても、また逢う瀬というものがあるのだなあ。それなのに、消えてしまった泡のようなあの人を、何にたとえたらよいのだろう。
- 鑑賞
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巻第十 雑歌下 612
涙の川は流れていっても、やがて浅瀬で出逢うことがあるのに、消えてしまった泡は二度と戻らず、何にたとえようもない、と詠む歌である。流れても逢う瀬のある川と、消えてしまえば逢うこともない泡とを対比させ、亡き人に二度と逢えない悲しみを表している。
本巻の第六百九首の「涙の川」に続き、本歌も涙を川にたとえる。第六百九首が「流れざりけり」と結んだのに対し、本歌は「流れても」と始めている。
初句「流れても」は、流れていってもの意で、涙の川の流れをいう。本巻の第六百九首の結句「流れざりけり」と対照をなしている。
二句「逢ふ瀬ありけり」は、逢う瀬があるのだなあの意で、川の浅瀬の意の「瀬」に、人が逢う機会の意を重ねている。詠嘆の「けり」で句切れとなる。
三句「涙川」は、川のように流れる涙の意である。初句からの倒置となっている。
四句「消えにし泡を」は、消えてしまった泡をの意で、完了の「ぬ」に過去の「き」の連体形が付いている。はかなく消える泡に、亡き人を重ねている。
結句「何にたとへむ」は、何にたとえたらよいだろうかの意で、推量の「む」が疑問の気持ちを表して結んでいる。「流れ」「瀬」「川」「泡」が縁語となっている。
あふせ:川の浅瀬の意の「瀬」に、人と逢う機会の意を重ねる
なみだがは:川のように流れる涙
- 出典
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金葉和歌集
- 前の歌
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身にまさるものなかりけりみどり子は やらむ方なくかなしけれども
- 次の歌
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呉竹のふし沈みぬる露の身も 問ふ言の葉におきぞゐらるる