いにしへは月をのみこそながめしか
今は日を待つ我が身なりけり
- 歌の意味
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昔は月ばかりを眺めていたけれど、今は日を待つ我が身となったことだ。
- 鑑賞
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巻第十 雑歌下 617
昔は月ばかりを眺めて過ごしていたが、今は日を待つ身となった、と詠む歌である。「月」と「日」、「いにしへ」と「今」とを対比させ、時の移りによって変わってしまった我が身のありさまを詠んでいる。「日を待つ」は、命の終わる日を待つ意と解され、哀傷の歌の中に置かれている。
作者の「大弐三位」は、藤原宣孝と紫式部の娘の藤原賢子である。後冷泉天皇の乳母となり、大宰大弐高階成章の妻となったことから大弐三位と呼ばれた。小倉百人一首にも歌が採られている。
初句「いにしへは」は、昔はの意で、四句の「今は」と対をなしている。
二句「月をのみこそ」は、月ばかりをの意で、副助詞「のみ」と係助詞「こそ」が用いられている。四句の「日」と対をなしている。
三句「ながめしか」は、眺めていたけれどの意で、係助詞「こそ」を受けて過去の「き」の已然形「しか」で結ぶ係り結びとなり、逆接の意を含んで下に続いている。
四句「今は日を待つ」は、今は日を待つの意で、命の終わる日を待つ意と解される。
結句「我が身なりけり」は、我が身であることだの意で、詠嘆の「けり」で結んでいる。
ながむ:もの思いにふけりながら見つめる
- 作者
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大弐三位
- 出典
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金葉和歌集
- 前の歌
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その夢を問はば嘆きやまさるとて 驚かさでも過ぎにけるかな
- 次の歌
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夢にのみ昔の人をあひ見れば 覚むるほどこそ別れなりけれ